大福未来研究所

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VOCALOIDで曲を書かなくなって

まず最初に、この記事は技術にまつわるものではありません。
ご了承ください。

VOCALOIDで曲を書かなくなった

ある日、なんとなく書く気がなくなってしまった。
今もなんとなく、書く気が起きない。


思い返せば、自分のボカロPとしての経歴はあまりにぐちゃぐちゃだったし、
大問題児だったし、
そんな中でも自分の曲を聴いて好きだと言ってくれる人が居たり、
CDを手にして喜んでくれる人が居たりしたのは幸せな人生だったんだと思う。


なんだかよくわからない。
ボカロ曲を聴く事はある。最近の新しいボカロPはオシャレな音使いをする人が多いなあと思うし、
未だにクラブ系のかっこいい音を作り続けてる人たちもいるし。
ただ、ボカロエディタを立ち上げて画面に向き合うと、妙に虚しい気持ちになる。

OBと批評家と

いつだったか、その昔私とぶつかりまくっていた(今思えば、私に胸を貸してくれていた)パッチワークPが、
マジカルミライに幻滅したという記事を上げ、ボーカロイドから目に見えて距離を置いたのを見たことがある。
あれほど静かな中に情熱を湛えていた人が、ボーカロイド評論の第一線から退いたことへの衝撃は大きかった。


以前一度寄稿させていただいた、中村屋与太郎さん率いる白色手帖もボカロ評論本の定期リリースを止めていた。
それほどまでに、ボーカロイドは議論の余地もなくなるほどに色数を減らしていたのだろうか。


いや、確かに減っていた。カラーパレットは減っていた。
65536色ぐらいは識別できていたはずのそれは、256色ぐらいになっていたのではないか。


マジカルミライ2013はパッチワークPにとって衝撃のライブであったようだが、
私にとっての衝撃はマジカルミライ2014,2015,そして2017である。


各ライブのセットリスト及びテーマソングは下記参照のこと。
マジカルミライとは (マジカルミライとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


今だからこそ言えるが、マジカルミライに「未来」なんぞ全く感じられなかった。
「現在」様々な楽曲イラストその他諸々を生み出し続けている有象無象のクリエイターにすらそっぽを向いた、
「過去」だらけのお祭りだった。


毎年大体の曲は変わらない、2010年以前の曲ばかり、
挙句の果てにテーマソングは、
とっくに商業音楽に羽ばたいていったOBが、記念行事にだけ帰ってきて主役を張るような人選。
それがミライというのなら、まさにマジカルである。魔法でも使わなければそんな話は通らないだろう。


様々な企業のボーカロイド曲の扱いも変わり始めていた。
最新の曲に目を向ける割合が減っていった。


文化の広がりを歓迎しているはずの各企業は、
とある時代を境にして、現在を追うことをやめ始めたように見えた。

ボーカロイドは本当に自由な文化だったのか

その昔、バンドブームがあった頃、フォークブームがあった頃。
彼らの手にした楽器はどこ製だっただろうか。
日本のもの、海外のもの、はたまたレッドスペシャルみたいに自作したものもあっただろう。


ボーカロイド曲というのは、そういうわけにはいかなかった。


少なくともボーカロイドという枠組みの中で、VOCALOID2~3の時代で考えても20社行くか行かないか程度、
その中でもクリプトン、インターネット、1stPlace、AHSの四天王に大元締めのYAMAHAが強かった。
これらの企業の製品を持っていないとボーカロイド曲というのは生み出せなかったと考えると、
どこのギターを持っていたって参入できたブームや文化とは全くの別物だったと言えるだろう。


ボーカロイド文化というのは、近代の音楽文化の中で唯一、
「企業が完全に管理することが実際に可能だった文化」なのではないかと、最近思うことがある。
そしておそらく、実際にそれは起きたのだろう。
無限に広がる余地は十分にある文化。
しかし企業としてはこれまでその文化を自分たちの中で管理できていた。


つまり、管理しきれなくなる前に閉じなければいけない。


ボーカロイドを作った企業、動画サイトの運営、それにまつわるコンテンツを二次利用する企業。
それらの利害が一致したとき、
ボーカロイド文化は、企業主導で閉じられようとする方向へ動いたのではないだろうか。
終わらせるのではなく、閉じる……世代交代、新陳代謝の否定へと。

砂の惑星を作ったのは誰か

そこでマジカルミライ2017の「砂の惑星」である。
発表当時、私は「卒業したOBがなーに上から目線の曲書いて小遣い稼ぎしとるんじゃ最近のボカロの流れ全然見とらんじゃろ」とか激怒していたのだけれど、
今思えばあの曲はどこまでも正しかった。
彼の目から見ればその頃のニコニコはすでに砂の惑星であった、
いや、
彼はもう何も見なくても、それが砂の惑星であることを知っていたし、
そうでなくてもそうなるであろうことを知っていたのだろう。


砂漠は何も、最初から砂漠だったわけではない。
雨雲が去って干からびたのだ。
では雨雲は何故去ったのか。
これ以上の繁栄は、自分たちの管理できるキャパを超えるからではなかったか。


そして、彼は雨雲の上に住みながらその曲を「施した」のだと、私はそう思った。


突然変異で水がなくてもジャックの豆の木ぐらいに伸びる植物が出てくるかもしれない。
そうなったらそれはそれで収穫すればいい。それも雲の上に仲間入りさせてやればいい。
少なくとも、これ以上雨を降らせてやる必要はない。


そんな空気を、ひしひしと感じるのだ。

それでも曲を書きたい

と、ここまで書いたものの、
結局は現実逃避だったり、自分が曲を書かない言い訳の一部だったり、
そういうものの中にこの文章はあるわけだけど、


それでもボーカロイドで曲を書きたい自分がまだいるらしい。
見事な呪いだと思う。
去っていった雨雲は、恵みの雨の味を知った人々のその後なんて気にしないんだろう。
誰が最後の一人になるのやら。